「パンがなければお菓子を…」は冤罪!? マリー・アントワネットと甘い誤解

カテゴリ: 食のこと

「パンがなければお菓子を…」は冤罪!? マリー・アントワネットと甘い誤解

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
この一言ほど、マリー・アントワネット(1755–1793)のイメージを冷酷に、そして豪華に焼き付けた言葉はありません。

しかし、この有名な台詞、実は彼女が言った証拠がないばかりか、そもそも原文は「お菓子(ケーキ)」ですらなかったことをご存じでしょうか?
歴史をたどると、革命の嵐が生んだ“濡れ衣”の真相が見えてきます。

本当の出典はルソーの『告白』

この台詞の本当の出どころは、思想家ジャン=ジャック・ルソーが1765年頃に執筆した自伝『告白』(第6巻)です。

そこに、こう記されています。

「とうとう私は、ある大公妃が言ったという間に合わせの言葉を思い出した。

パンがなくなった百姓たちが訴えていると聞いて、あの方はこう答えた。

『それならブリオッシュを食べればいいのに』と。(Qu'ils mangent de la brioche.)」

そう、原文は「ケーキ」ではなく「ブリオッシュ」

バターと卵を使ったパンの一種で、もちろん贅沢品ですが、私たちが想像する華美なケーキではありません。

さらに重要なのは、この本が書かれたとき、マリー・アントワネットはまだ10歳ほどでオーストリアにいたということ。
彼女がフランスに嫁ぐ5年も前に、すでにこの言葉は存在していたのです。

この言葉が本当にマリー・アントワネットのものだったと考えるのは、少し難しいですよね。

誤解を広めた革命のプロパガンダ

では、なぜこの台詞が王妃のものとして広まったのでしょうか?
その背景には、フランス革命期の激しいプロパガンダ(宣伝戦)がありました。

1789年に革命が勃発すると、民衆の不満は王室、特に王妃に向けられます。
当時、王妃を攻撃するために「リベル(libelle)」と呼ばれる中傷的なビラやパンフレットが大量に出回りました。
革命派のジャーナリストたちは、贅沢で民衆に無関心な王妃像を広めるため、この「ブリオッシュ」の逸話を格好の材料として利用したのです。

オーストリア出身であった彼女は「ロートリシエンヌ(L'Autrichienne - あのオーストリア女)」と蔑まれ、反感の的でした。
その中でこの台詞は、彼女が冷酷な外国人であるというイメージを決定づけるのに、あまりにも都合が良かったのです。

こうして史実とは関係なく広まった冤罪の台詞は、数十年という時を経て、歴史物語の中に刷り込まれていきました。

王妃とスイーツの本当の関係

ただ、冤罪だったとはいえ、マリー・アントワネットが甘い物を好んだと伝えられているのは事実です。

故郷ウィーンの食文化に親しんだ彼女は、軽やかなブリオッシュや、アーモンドを使った焼き菓子、果物たっぷりのタルトなどを好んだと記録に残されています。

当時のヴェルサイユ宮殿で供された砂糖細工や豪華なデザートは、彼女個人の贅沢というよりも、国の威信を示すための“宮廷文化”そのものでした。

一方で、王妃の私的空間「プチ・トリアノン」では、形式ばった宮廷を離れ、親しい友人たちとマカロンや焼き菓子、香り高いショコラ(チョコレート飲料)などを楽しむ時間も大切にしていました。

庭で採れた果物と共に銀のトレイに並べられた甘味は、彼女にとってささやかな幸せの象徴だったのかもしれません。

彼女のウィーン風の嗜好はフランスの菓子文化に新しい要素を加えた可能性があり、その後の流行の素地を作った一因とも言えるでしょう。

甘い物語の裏にある苦い現実

もしカフェでマカロンやブリオッシュを口にするときがあれば、ぜひこの物語を思い出してください。

それは革命期の政治宣伝によって広まり、後世に“キャッチコピー”のように定着した言葉であって、彼女自身の声ではなかったこと。

そして、スイーツを前に微笑む私たちと同じように、王妃もまた、その甘いひとときだけは、過酷な運命を忘れて心安らぐ一人の女性だったのかもしれません。