豚肉はなぜ“不浄”?意外な背景をひもとく

カテゴリ: 食のこと

豚肉はなぜ“不浄”?意外な背景をひもとく

世界には「これは食べない」というルールがある文化がたくさんあります。
そのひとつが「豚肉はNG」という習慣
なぜ豚肉だけが?本当に“不浄”なの?
今回は、そんな食のタブーにまつわる宗教と文化のお話をのぞいてみましょう。

豚肉NGの代表格は、イスラム教とユダヤ教

豚肉を禁じている代表的な宗教が、イスラム教とユダヤ教です。
どちらも古くから厳格な食のルールを持っていて、豚はその中で特に避けるべき存在とされています。

イスラム教において豚肉は「ハラーム」

イスラム教では「クルアーン(コーラン)」という聖典の中で、豚は明確に“ハラーム(=禁じられたもの)”と定められています


豚肉はもちろん、豚に由来する成分を含んだ食品や、豚と同じ器具で調理された食べ物も基本的には避けられます。

クルアーン第2章173節には次のように書かれています。

「汚れたもの、つまり豚の肉や、神の名を唱えずに屠られた動物を食べてはならない」

これは単なる食のルールではなく、「神に従う」というイスラム教の信仰そのものの表れなんですね。
イスラム教徒にとっては、食べ物そのものが“神への服従”の一部。

だからこそ、豚肉は絶対に避けるべきものなのです。

ユダヤ教では「カシュルート」によって禁止

ユダヤ教でも豚はタブーです。
その根拠は旧約聖書の「レビ記」の11章7節にあり、こう書かれています。

「蹄(ひづめ)が割れていても反芻しない豚は、あなたがたにとって汚れたものである」

(レビ記11章7節)

ユダヤ教では“カシュルート”という食事の決まりがあり、食べてよい動物は「蹄が2つに割れている」かつ「反芻する(胃の中の食べ物を口に戻してよく噛む)」という決まりなのです。

豚は蹄は2つに割れているものの、反芻(はんすう)しない=胃の構造が神に定められた“清い動物”の条件に合わないという理由から、食べることが禁じられているんですね。

なぜ豚は「不浄」なの?

では、なぜここまで豚肉だけが嫌われているのでしょう?
その背景には宗教的な意味だけでなく、歴史的・衛生的な理由もあるとされています。

理由① 衛生面の問題

かつての中東や地中海沿岸地域では、高温多湿な気候の中で豚肉は腐りやすく、食中毒や寄生虫の原因になることが多かったそうです。
冷蔵技術のない時代、「危ないから食べない」という知恵が宗教の教えと結びつき、「神に禁じられたもの」とされるようになったのでは、という説もあります。

理由② 豚の雑食性

豚は雑食性で、他の動物の死骸や人間の残飯までも食べることがあります。

こうした性質が「不潔」という印象を強めたとも言われています。

理由③ 胃の構造

豚は単胃動物で、反芻胃を持たないため、反芻をしません。
反芻しない動物=「神の言葉を繰り返さない存在」と見なされたという象徴的な意味合いも重なり、やがて“不浄な動物”とされたのではないかとも考えられています。

現代ではどうなっているの?

今もなお、イスラム教やユダヤ教では豚肉はタブーとされています。


ただ、近年はハラール(イスラム教徒向けの認証食品)やコーシャ(ユダヤ教徒向けの認証食品)対応のレストランや商品が増えており、信仰を尊重しながら安心して食事ができる環境が少しずつ広がっています。

日本でもハラール対応の飲食店や食材が増えていて、ムスリムの旅行者や留学生への配慮も少しずつ根づいてきています。
「これは豚肉ですか?」と聞かれたとき、ちょっとした思いやりを持って対応できると素敵ですね。

食べる・食べないは、信仰のかたち

食べ物の選び方には、その人の価値観や信仰が深く表れます。
豚肉の禁止も、単なる“ルール”ではなく、日々の暮らしの中で神とつながるための「祈りの行為」なんですね。

イスラム教の「ハラール」や、ユダヤ教の「カシュルート」は、信仰に基づいた生き方を支える大切な指針です。

私たちが日常的に口にする食事も、世界の誰かにとってはとても神聖で重要なものかもしれません。

参考文献

  • 『コーラン(クルアーン)』日本語訳:井筒俊彦訳、岩波書店、1958年
  • 日本ムスリム協会 https://www.muslim.or.jp